大判例

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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)1949号 判決 1986年7月16日

原告 甲野太郎

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 岩井國立

同 成田健治

被告 国

右代表者法務大臣 鈴木省吾

右指定代理人 中西茂

<ほか四名>

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、それぞれ金三三九一万六七七七円及びこれに対する昭和五六年一一月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文と同旨

2  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  甲野一郎(以下「一郎」という。)の死亡に至る経緯

(一)(1) 原告らの長男一郎(昭和三九年八月一日生)は、昭和五六年一〇月三一日、オートバイの暴走行為をした嫌疑によって補導され、同年一一月二日(以下日だけを記載するのはいずれも昭和五六年一一月である。)、東京家庭裁判所八王子支部(以下「東京家裁八王子支部」という。)において東京少年鑑別所(以下「鑑別所」という。)へ送致する旨の観護措置決定を受け、同日夕方鑑別所に収容された。

(2) 原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)は、前同日、東京家裁八王子支部調査官に対し、一郎は幼少期からぜん息持ちであり、寒い時期でもあるので、収容に耐え得るかどうか極めて心配である旨説明したところ、右調査官は、鑑別所には医師がいるから大丈夫である、鑑別所に対する報告書にぜん息持ちであることを記載しておく、と述べていた。

(二) 一郎は、翌三日、定員七名くらいの集団室に収容されたが、入所当時風邪ぎみであったうえ急に寒くなり、加えて鑑別所への収容、少年院送致の不安等強度の心理的緊張感からぜん息発作を起こしたため、他の収容者に迷惑をかけるという理由で翌四日単独室に移された。

(三) 鑑別所の収容室には暖房設備はなく、特に一郎が収容されていた部屋は、直射日光が入らないうえ、両側に風の通り口が開いており、常に冷たい風が吹き抜けるという状態であった。極寒の季節であるのに、敷布団、掛布団各一枚と毛布二枚だけが貸与されていたにすぎない。

四日も一郎のぜん息発作は続いていたが、鑑別所は暖をとるための措置をとらなかった。

なお、収容室から観護課職員の控室に直接通報する方法はなく、職員に連絡するためには室内上方にある報知器(通称パニックボタン)の木札を倒して通りかかる職員に見つけてもらう外はないのであるが、右報知器は立ち上がって操作しなければならず、単独室で苦しんでいる場合には、役にたたないものであった。

(四) 一郎は、七日(土曜日)夜、再びぜん息発作を起こし、二回にわたっておう吐した。翌八日(日曜日)は食事も一食しかとれない状態になったが、休日であるため医師の診断も受けられなかった。九日にも発作を起こした。

(五)(1) 一郎は、一六日夜から再びぜん息の発作を起こし一七日朝にも発作があった。再三の発作と精神的圧迫、そのため満足に食事もとれないという状況の下で体力は著しく衰え、一七日朝は、職員が配る朝食を収容室入口まで受け取りに行くことさえできなかった。

(2) 一郎は、同日午後三時にまた発作を起こし、机にもたれるようにしてゼイゼイというような呼吸(起坐呼吸)をしていた。これは、ぜん息発作のうち重度のものである。

(3) 同日午後四時三〇分ころ、観護課職員池田喬(以下「池田」という。)が夕食の配膳をした時も、ゼイゼイというぜん鳴が聞こえるような状態であったが、この症状は、午後三時の発作から継続して生じていたと考えられる。

しかも、この時点では、池田が医務課に要請して医師三枝秀人(以下「三枝医師」という。)、看護婦である医務係長川原邦枝(以下「川原」という。)を呼んだほどであるから、重発作と言われる病状を呈しており、既に入院の手配をするなど専門医の診療を要する段階にきていた。

(4) 右のような状態はその後も続き、同日午後一〇時三〇分ころ、一郎は観護課職員澤藤有作(以下「澤藤」という。)に「苦しい。」と訴え、午後一一時ころ、澤藤から連絡を受けた当日の監督当直者鈴木竹雄(以下「鈴木」という。)は、宅直医の三枝医師ではなく、外科医である医務課長原明道(以下「原医師」という。)に指示を仰いだが、緊急事態であるにもかかわらず、原医師は、簡単な経過をきいただけで、素人である鈴木にデカドロン二錠の投与とそれでも苦しむ場合にはネブライザーの施行を指示したに留まり、その結果鈴木は、薬の所在が分からないため、川原に登庁を求めなければならないという状態であった。

(5) この後、川原は、鑑別所医務課の内科医で一郎の主治医のような立場にあった黒田重臣(以下「黒田医師」という。)に直接電話した。黒田医師は、川原の「夕方から発作を起こし、三枝医師の治療を受けている、原医師からデカドロン二錠を追加投与するようにと指示された、このまま経過をみていていいか。」との問合わせに対し、「話ができるかどうか、歩けるかどうか、チアノーゼの有無、仰向けで寝られるかどうか。」ということをそれぞれ確認し、「いずれもできるし、チアノーゼはない。」との報告を受けたので、発作はデカドロンの減量による反跳現象(リバウンド現象)であると判断し、「まだ治らないようならもう一度ネブライザーを施行し、メジヘラは四時間おきに使用すること、それでも苦しむようならアレベールだけのネブライザーを行うように。」と指示した。

しかし、川原の右報告内容は誤っており、当時一郎は当日朝から連続した発作のため著しく衰弱しており、歩行も困難であり、チアノーゼも出ており、起坐呼吸の状態であった。

(6) 結局黒田医師は登庁せず、また鑑別所は、近隣の開業医の往診を求めるなど適切な処置をとろうともしなかった。

(7) 一郎は、その後も布団の上であぐらをかいて壁に寄りかかっており、起坐呼吸の状態は悪化していった。翌一八日午前一時ころ、澤藤に対し「メジヘラを使用させて下さい。」と訴えたが、澤藤は、もう少し我慢するようにと言い、午前一時四〇分にメジヘラを使用させただけであった。

(8) このように重篤な状況であったにもかかわらず、鑑別所は医師の診察を受けさせるなどの適切な措置をとらなかった。そして、同日午前六時三〇分ころ、朝食を配っていた観護課職員藤原良二(以下「藤原」という。)は、一郎が、声をかけても応答せず、部屋の中をのぞいたところ仰向けに倒れていたので、驚いて近所の開業医平田統一郎(以下「平田医師」という。)の往診を求めた。平田医師は、午前七時ころかけつけたが、既に瞳孔が開いており、手足も冷たくなっていて、手の施しようがない状態であった。一郎は、藤原が発見する以前に、何ら適切な処置を受けないまま死亡したのである。

(9) その後判明した死因は、気管支ぜん息であった。

2  気管支ぜん息について

(一) 気管支ぜん息は、発作的にぜん鳴と呼吸困難の症状を伴う一つの病態につけられた病名であり、対応の如何によっては死に至る病気である。発作時には、気管支平滑筋の収縮を起こし、気道にむくみ(浮腫)を作り、痰を増加させるため、気道が非常に狭くなり、ぜん鳴や呼吸困難などのぜん息特有の症状が現われる。その結果、肺内に入った空気の調節ができず、ガス交換が不完全となり酸素欠乏の状態を生じ、発作の継続は心臓にも強い負担を与えることとなる。

(二) 誘因からみたぜん息発作には、次のようなものがある。

(1) アレルギー性ぜん息

アレルゲンの吸入により発作が誘発される。アレルゲンは、その患者ごとに異なるが、塵やダニ、閉鎖的な部屋、不潔な寝具はこれにあたる。

(2) 感染によるぜん息

風邪や気管支炎などの感染によって、ぜん息発作が誘発されることが多い。

(3) 物理的・化学的刺激によるぜん息

気象の変化や大気汚染は、ぜん息発作の誘引となる。気温の変化時期にあたり、気圧が一時的に下がることの多い秋から冬にかけてぜん息の発作が多くなるのはこのためである。

(4) 心理的要困によるぜん息

不安、興奮、拘禁恐怖などの感情によって引き起こされた中枢神経の興奮が、脳の視床下部を経て迷走神経に伝えられ、最終的に気道の狭窄が起こると考えられている。

(5) ぜん息の基本的な体質原因

ぜん息患者の特徴は、気道過敏性であり、すべての気管支ぜん息患者にみられる。これを前提として、物理的、化学的条件、心理的要因が重なると、必然的にぜん息発作を起こすことになる。

(三) ぜん息発作の程度と対処

ぜん息発作には、軽いものから重度のものまで、種々の態様があり、自ずからこれに対する対処も異なってくる。

(1) 軽発作のとき

軽発作とは、多少息苦しいが正常な日常生活ができる程度のものであり、夜も普通に就寝することができるものをいう。この程度の場合は、気管支拡張剤を一日に二ないし四回服用する程度で足りる。ただし、服用薬は飲み過ぎてもいけないし、一種類だけに頼ってもいけないとされており、医師の処方、服用方法の指示に従わなければならないのは当然である。

(2) 中程度発作のとき

中程度発作とは、気管支拡張剤の外に発作予防薬の吸入などを併用すれば夜も眠ることができるし普通に仕事もできる(薬の助けなしにはできない)程度のものをいう。

発作で苦しい時はメジヘラのような携帯用ネブライザーを使用するが、これは多くても一日四回吸入する程度に止めなければならない。量が多すぎると心臓を悪くしたり、ぜん息をかえって悪化させたり、慢性化させたりし、ひどい場合は気管が拡がるかわりに逆にけいれんを起こしたりするからである。

(3) 重発作のとき

重発作とは、発作がひどく、立居ふるまいも不十分で、話をすることも困難な程度をいう。寝ることもできず、起坐呼吸の状態となる。この場合は、適切な措置をしなければ死亡に至ることも予見されるのであるから、直ちに入院させるなどして専門医の治療を受けさせることが必要不可欠である。

(四) ぜん息発作に対する処置は、まず発作の症状を止める(軽快させる)ことであり、次いで発作が止まった状態を持続させることである。服用薬や吸入薬の使用で軽快すればよいが、軽快しない場合はかなりの重症であるから、注射薬、点滴の使用が必要であり、そのためには入院治療をしなければならない。

3  被告の責任

(一) 国の機関である鑑別所は、少年院法一六条の規定に基づき、家庭裁判所の行う少年に対する調査及び審判並びに保護処分の執行に資するため、医学、心理学等の専門的知識に基づいて、少年の資質の鑑別等を行うことを目的として設置されている施設であり、未成年者を公権力の行使により強制的に収容するものであるから、鑑別所長は、部下職員を指揮監督して職務を執行するについて、未成年者である収容者の生命、身体の保護につき万全の注意をもって対処すべき義務を負うものである。

(二) 特に本件の場合には、事前にぜん息の持病があるので収容に耐えられるかどうか心配である旨を東京家裁八王子支部調査官を通じて知っており、かつ、入所時の調査において本人からもその旨の申出を受けておりながら、鑑別所長及び同所職員は、以下のようにこれに対する何ら適切な処置をとらず、慢然とこれを放置したに等しい状態に置いた過失により一郎を死亡させた。

(1) 一郎の死亡に至る経過は、前記のとおりであるところ、少なくとも一七日午後八時以降における一郎の病状は、重発作の状態にあり、気道閉塞によるぜん息死の危険が予見される状態であったのであるから、鑑別所としては、直ちに黒田医師の登庁を求めて適切な措置をとらせるとか、あるいは、総合病院など設備の整った病院に入院させ、専門医による診療と病状監視のもとにおくべき義務があるにもかかわらず、川原は、黒田医師に対して、一郎は仰むけになって寝ることができるなど誤った情報を与えて同医師の診療の機会を逸し、また、当日の当直責任者である鈴木及び当直者であった藤原、澤藤は、慢然とネブライザーなどの措置をとっただけで、一郎の生命の安全をはかるために必要な処置を講じなかった過失により、翌一八日午前七時ころ、同人を違法に死亡させるに至ったのである。

(2) 更に、メジヘラやネブライザーの使用限度は二四時間で四回(六時間おき)までであり、それ以上の必要性がある場合には、別の治療法をもってこれに対処しなければならない注意義務があるにもかかわらず、次のとおり、一七日午後三時ころから翌一八日午前六時ころまでの一五時間の間にメジヘラ、ネブライザーを九回にわたって施し、メジヘラだけでも一七日午後四時三〇分ころから翌一八日午前六時ころまでの一三時間三〇分の間に四回(平均四時間三〇分間隔)も使用した。このような頻度でメジヘラ等を施さなければならない容態であれば、直ちに入院措置を講じ、専門医師による診察と治療及び病状監視が必要であったにもかかわらず、漫然とその施療の限界を越えてメジヘラ、ネブライザーの使用を繰り返した過失により、一郎を死に至らしめた。

(ア) 三枝医師の指示により、

① 一七日午後三時ころ、川原がネブライザー

② 同日午後四時三〇分ころ、三枝医師がメジヘラ

③ 同日午後八時ころ、川原がネブライザー

④ 同日午後九時ころ、藤原がメジヘラ

(イ) 原医師の指示により、

同日午後一一時一〇分ころ、川原がデカドロン二錠の投与と澤藤がネブライザー

(ウ) 黒田医師の指示により、

① 同日午後一一時四三分ころ、澤藤がネブライザー

② 翌一八日午前一時四〇分ころ、藤原がメジヘラ

③ 同日午前四時ころ、藤原がネブライザー(アレベールのみ)

④ 同日午前六時ころ、藤原がメジヘラ

(三) 以上のとおり、本件においては、公権力の行使にあたる公務員がその職務を行うにあたり、その過失によって一郎を死に至らしめるという重大な損害を違法に生ぜしめたものと言うべく、国家賠償法一条に基づく被告の責任は免がれないものと言うべきである。

4  損害

本件による損害は次のとおりであるが、原告らは、一郎の法定相続人として、逸失利益損害の賠償請求権を各二分の一ずつ相続し、かつ、固有の損害としては慰謝料、葬儀費及び弁護士費用の各二分の一ずつの損害を被った。

(一) 逸失利益 三〇九六万六八六八円

賃金センサス昭和五五年第一巻第一表により、男子全年令平均の給与額金二二万一七〇〇円と年間賞与金七四万八四〇〇円を採り、死亡時である昭和五六年の同五五年度に対する上昇率五パーセントを加算し、更に生活費控除五〇パーセント、就労可能年数五〇年(死亡当時満一七年)とし、該当ライプニッツ係数(就労年令一八年までの一年間を補正した係数)一七・三〇三六を乗じて算出すると次のとおり三〇九六万六八六八円となる。

(221,700×12+748,400)×1.05×0.5×17.3036=30,966,868

(二) 慰謝料      三〇〇〇万円

一郎は、東京都《番地省略》において運送業を営む株式会社甲野輸送(資本金四〇〇万円、従業員六〇名、保有車両四〇台)の代表取締役を勤める原告太郎及びその妻原告甲野花子(以下「原告花子」という。)の長男であり、同社において稼働し、近い将来には同社の役員に迎えられ、ゆくゆくは同社の代表取締役として活躍することを期待されていたのであって、一郎の死亡による原告らの精神的苦痛は筆舌に尽すことはできない。原告らは、今後の長い生活において、長男死亡の事実により尽大な精神的苦痛を味わっていかなければならず、その苦痛を金銭で見積もれば各一五〇〇万円を下らない。

(三) 葬儀費        七〇万円

(四) 弁護士費用 六一六万六六八六円

右は、逸失利益損害、慰謝料及び葬儀費の合計額の一割に相当する金員である。

よって、原告らは、被告に対し、国家賠償法一条による損害賠償請求権に基づき、それぞれ金三三九一万六七七七円及びこれに対する不法行為の行われた日である昭和五六年一一月一八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)(1)の事実は認める。ただし、事件名は、兇器準備集合、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反保護事件である。

2  同(一)(2)の事実は否認する。東京家裁八王子支部調査官は、同日原告太郎と面接しておらず、同原告から一郎にぜん息の持病がある旨の説明は受けていない。同原告と面接しこれを聞いたのは一二日である。

3  同1(二)の事実のうち、一郎が、三日に集団室に収容されたが四日に単独室に移ったこと、右両日ぜん息発作を起こしたことは認めるがその余は否認する。集団室内の塵や同室者に対する気遣いなど症状への悪影響を避けるとともに、静養できる環境を保持し、行動観察をより効果的に行うために単独室に移したのである。

4  同1(三)の事実のうち、鑑別所の収容室に暖房設備はないこと、四日にもぜん息発作があったこと、三日ないし七日の間は布団を追加して貸与しなかったことは認めるが、その余は否認する。一郎には気管支ぜん息の持病があること及び同人が一四日に事故によるけがのため足が冷えると申し出たことを考慮して、同日敷布団、掛布団各一枚を追加貸与した。

観護課職員は、日中、夜間とも収容者の動静を把握するため一五分ないし三〇分間隔で寮内を巡視しており、鑑別所における観護体制は万全である。異常事態の発見が遅れることはない。報知器は、収容者の日常生活における各種願出、職員に対する質問、助言を求める際などに用いられるもので、病人の使用を予定して設置されているものではない。

5  同1(四)の事実のうち、一郎が七日ないし九日の三日間ぜん息発作を起こしたことは認めるが、その余は否認する。

6  同1(五)の事実のうち、一郎が一七日朝軽度のぜん息発作を起こしたこと、同日午後三時ころから同日夜にかけて数回のぜん息発作を起こしたこと、同日夜、担当職員が電話で医師の指示を仰いだこと、同日夜鑑別所の医師が登庁せず、近隣の医師の往診も求めなかったこと、一郎が一八日、数回ぜん息発作を起こしたこと、同日午前六時三五分ころ(六時三〇分ころではない。)、藤原が仰向けに倒れている一郎を認め、声をかけたが応答がなかったこと、即刻鑑別所に隣接して開業する平田医師の往診を求めたこと、来所した平田医師が同日午前七時に一郎の死亡を確認したこと及び一郎のその後判明した死因が気管支ぜん息であったことは認めるが、その余は争う。

7  同2ないし4は争う。

三  被告の主張

1  鑑別所における医療体制

少年法一七条一項二号の規定等により送致された少年らを収容する鑑別所は、少年法、少年院法その他の法令に従い、収容された少年の行動の自由を制限するが、少年が傷病に罹患した場合には、傷病の程度・内容に応じ適切な医療行為をするべきことはいうまでもない。鑑別所においては次のとおり健康管理及び診療活動が行われており、医療体制に欠けるところはない。

(一) 医務課の構成

医師四名のほか、保健衛生係長(看護婦)一名及び法務教官一名で構成されている。

(二) 入所者の健康診断

入所当日(土曜、休日は後日)、職員による健康診査(身長、体重、胸囲等の測定)及び健康状態への問いかけが行われ、収容の翌日(翌日が休日に当たる場合は翌々日)、医務課において、医師による健康診断が行われている。右診断の結果、継続治療を要する少年については、継続受診の指示、病室への収容、投薬等の必要な処置がとられている。

(三) 在所者に対する診療行為

原則として毎朝観護当直職員が少年から所定の手続により申出を受けたうえで行われている。身体の具合が悪ければいつでも申し出るよう指導しているし、申出があった場合は、申出どおり医師の診察を受けさせるなどの必要な処置をとっている。

(四) 救急患者の取扱い

執務時間内においては医務課の医師が直ちに診察、治療行為を行うのは勿論であるが、夜間、休日等医師が不在の場合においても、監督当直者の判断により、あらかじめ指定しておく宅直医に連絡をとり応急処置をとる一方、その状況に応じて医師や看護婦が登庁して治療に当たっている。外部病院の外来診察や入院が必要と認められる少年については、これらの措置を行うのはもちろんのことである。

2  一郎が死亡するまでの経緯について

(一) 一郎は、二日の入所時の健康診査及びオリエンテーションの際に、それぞれ職員が健康状態について問いかけたのに対し、気管支ぜん息の持病があることを申し出なかった。四日にぜん息発作を起こし、黒田医師の診察を受けた際、前日にもぜん息発作があったこと及び四、五歳ころからぜん息発作があったことを告げた。同医師の診断によれば一郎の発作の状況はぜん鳴が聞こえる典型的な発作であったが、歩行、会話に支障はなく、起坐呼吸(坐位かつ前屈位でする呼吸)をすることもなかった。処置として気管支拡張剤であるテオナとアロテック四日分を与えた。鑑別所において、一郎にぜん息の持病があることを知ったのは、この診察の時が初めてである。

(二) 一郎は、七日から九日にかけて再びぜん息発作を起こした。黒田医師は、九日に二度にわたり診療しているが、発作の状況は四日の発作と同程度であり、ネブライザーを施したうえ、テオナ、アロテックの他、ステロイドホルモン剤であるデカドロンを与えたところ、症状は軽快し、一〇日の発作を最後に一七日朝までぜん息発作はなかった。一三日に原医師が診察しているが、異常所見は認められず、一六日の黒田医師の診察でも異常はなかったので、同医師は副作用のおそれの強いデカドロン投与を減量した。なお、同月七日から一六日までの治療経過は別紙治療経過記載のとおりである。

(三) 一七日午前七時過ぎころ、軽度のぜん息発作を起こしたため、黒田医師の指示により、メジヘラ吸入によりその症状を軽快させた。一郎は、同日の朝食は三分の一程度を、昼食は二分の一程度をそれぞれ喫食している。

(四) 同日午後三時ころ発作を起こしたので、三枝医師が医務課において診察し、ネブライザーを施行して落ち着かせた。同四時半ころ一郎が苦しいと訴えたので三枝医師が再度診察し、メジヘラを施行して軽快させた。この時の一郎の様子は少し苦しそうにしていたが、顔色は普通であり、起坐呼吸をすることはなく、会話も支障なく、一郎本人がメジヘラを扱っていた。

(五) 同日夜間は、当直の控室を一郎の部屋と同じ三階に定めて、少なくとも一五分ごとに巡回していたところ、午後八時ころ一郎が発作を起こしたので川原が呼び出された。一郎は息づかいが少し苦しそうで、壁にもたれていたが、顔色は普通であり、ネブライザーを吸入したところ、「楽になりました。」と言うようになった。同日午後九時ころ苦しいと訴えるのでメジヘラを施行し軽快させた。

(六) 一郎は、その後も壁に寄りかかって肩で呼吸していたが、特に苦しいという表情ではなく、支障なく会話をすることができた。同日午後一一時ころ発作が激しくなったので、電話で原医師の指示を受け、登庁した川原がデカドロン二錠の投与とネブライザーを施行した。一郎の様子は同日午後八時ころと変わらず、前屈姿勢をとってはおらず、会話は支障なく、自分で洗面台まで歩いて水を汲んできて薬を飲み、ネブライザーを吸入した後は横になっていた。その後、川原が、黒田医師に電話をし、それまでの経過を説明して今後の措置を尋ねたところ、ネブライザー療法を継続するとともに、四時間以上の開隔をおいてメジヘラ吸入を行うことが妥当である旨の指示があったので、その指示に従い、翌一八日午前〇時ころネブライザー療法を行って症状を一応軽快させた。

(七) 一八日午前一時ころ、午前四時ころ、午前六時ころ、それぞれ発作を起こしたので、それぞれメジヘラ吸入、ネブライザー療法、メジヘラ吸入を行い、その都度一郎が「楽になりました。」と話すまでに、その症状を一応軽快させた。このころの一郎の様子は、壁に寄りかかったままではあったが、会話はでき顔色が悪いとか汗をかくほど苦しむという症状はなく、発作を起こした時以外は変化がなかった。

(八) 一七日深夜は、デカドロンを投与した際、しっかりとした足取りで自ら洗面台まで歩いて行き水を飲み薬を服用していること、苦しそうな表情も消失しぜん鳴が小さくなっていること、脈拍も落着いており職員の問いかけに対して「少し楽になりました。」と応答して横臥していることなど、また、一八日未明は、苦しそうな表情も消失しぜん鳴が小さくなっていること、前かがみの姿勢から胸を張るような姿勢になり、職員がお茶をすすめたところ「いりません。」とはっきり応答していることなど、一郎の表情、動作及び職員との応答態度等を総合勘案したうえで一応軽快したと判断した。

(九) 一八日午前六時三〇分ころ、藤原が一郎に対し「もう少し我慢するよう。」声をかけたところ、一郎は「わかりました。」と答えた。同日午前六時三五分ころ藤原が一郎を見ると、仰向けになったまま呼びかけても返事をせず、微動もしない状態であったので、直ちに鈴木に報告したところ、鈴木は鑑別所に隣接して開業する平田医師の往診を求めるとともに、医務課職員を呼び出すなどの措置をした。その後間もなく登庁した川原が一郎に人工呼吸を施したが、その効なく、同日七時、来診した平田医師により死亡と診断された。

3  一郎を入院させ専門医による医療を受けさせなかったことについて

(一) ぜん息の重症度の判断基準について

ぜん息の重症度は、発作の強度と発作の頻度との組合せによってとらえられており、入院治療が必要とされるのは、重症のぜん息ないし重症発作の場合である。

(1) 発作の強度(発作の重症度)

重症発作の場合には、次のような臨床症状が出現するとされている。

(ア) 大島良雄の気管支ぜん息重症度分類(以下「大島の分類」という。)

呼吸困難が強度、日常生活不能

(イ) 光井庄太郎の気管支ぜん息重症度判定基準(以下「光井の基準」という。)

① 呼吸困難(重症では起坐呼吸)

② ぜん鳴、ラ音の聴取(重症では呼吸困難にかかわらずぜん鳴、呼吸音が減弱、消失する。)

③ 会話困難ないし不能

④ チアノーゼ

⑤ 意識混濁、昏睡、失禁、けいれん

(ウ) 日本アレルギー学会気管支ぜん息重症度判定基準(以下「日本アレルギー学会基準」という。)

① 呼吸困難、苦しくて横になれない

② 会話困難、動作不能

③ チアノーゼ

④ 意識正常ないし障害、失禁

(2) 発作の頻度

発作の頻度は、次のように、三段階に分類して説明されている。

(ア) 大島の分類

① 平均一か月に一回以下

② 平均一か月に数回ないし一〇数回

③ ほとんど毎日

(イ) 日本アレルギー学会基準

連続四週間の平均で

① 一週間に一日以下

② 一週間に四日未満

③ 一週間に四日以上

(3) 以上の発作の強度と頻度の組合せにより、例えば、重症発作の場合には頻度が中程度であっても重症のぜん息とされ、また発作が重症に至らない中程度のものであっても頻度が多い場合には重症のぜん息とされている。なお、ぜん息発作が一晩中続いて眠れないということはぜん息患者にはよく起こり得ることであって、個々の発作が強度でない限り重症とは言えない。発作の頻度を計る発作回数は一日単位で判定するものであり、発作がほとんど毎日続く状態になって重症のぜん息とされるのである。また、重症発作の場合は発作が徐々に強くなるのが通例である。

(4) 治療上ステロイド剤を必要とする場合にはぜん息は中等以上とされ、ステロイド依存例は重症とされている(光井の基準、日本アレルギー学会基準)。

(二) 一郎のぜん息の重症度

(1) 発作の重症度

一郎は、一七日夕刻から翌一八日朝にかけて、数回ぜん息発作を起こしているが、その発作の症状は、いずれも、息づかいは少し苦しそうであり、壁に背をもたれてはいるものの、起坐呼吸(前かがみの姿勢)ではなく横臥することもあり、顔色は普通であってチアノーゼが出現することもなく、しっかりと会話を交し、自ら洗面台に行って水を汲んでくる等通常の動作をとり、意識混濁、昏睡、失禁、けいれん等も全く現われていない。しかも、いずれの発作も投薬、メジヘラ吸入、ネブライザー療法を施すことにより一応軽快しているのであって、発作が全く治まらないとか、次第に増強しているといった状態ではない。このように、一郎の発作には前記の重症発作の際見られる症状が出現しておらず、右の処置によりその都度一応軽快しているのであって、重症発作の状態になっていたとは言えない。

(2) 発作の頻度

一郎は、鑑別所に入所した二日から一八日の間に、合計八日発作を起こしているが、ほとんど毎日発作を続けていたわけではなく、前記基準に照らせば、発作回数が多いとは言えない。また一七日夕刻から翌一八日朝にかけて発作が断続しているが、通常のぜん息において見られるものであって重症のぜん息とは言えない。

(3) 以上のとおり、一郎のぜん息は個々の発作の強度の点、発作の頻度の点、いずれをみても重症とは言えないものである。なお、一郎はステロイド剤を服用しなくても発作を起こしていない日があるのであって、ステロイド依存例ではないことは明らかである。

(4) また重症発作は、一般的経過として、軽発作又は中発作の出現、無気肺部の拡大、低換気状態、意識障害の出現、昏睡状態へと徐々に進行していく性質のものであるところ、一郎の状態はこのような経過にもなっていなかった。

(三) 一郎に対する処置の適否について

以上のとおり、一郎は重症発作ないし重症のぜん息とは言えないのであるから、一七日夕剤から翌一八日朝にかけて、直ちに入院させて必要な医療措置を施す義務はない。鑑別所は、一郎の症状に応じ、医務課の医師と連絡を取り、看護婦を呼び、投薬等の処置を施して一応軽快させているのであって、その措置には何らの落度もない。一八日午前一時以降の発作についても、特に重症発作ではなく、通常のぜん息発作であったため、メジヘラ吸入、ネブライザー療法を続けていたのである。この間の職員らの一郎に対する措置にも何ら過失はない。

(1) 原告らは、一郎が起坐呼吸をしているにもかかわらず、川原が仰向けになって寝られると誤った報告をしたため黒田医師の診療の機会を逸したと主張している。しかし、一郎は起坐呼吸をしていたわけではないし、川原が黒田医師に電話をしている時には横になっていたのであるから、川原の報告に何の誤りもない。川原がネブライザーを施行する前は、一郎は座って壁にもたれていたが、起坐呼吸していたわけではない。原告らは、川原がありのままを報告しておれば黒田医師が鑑別所に出かけたであろうと主張するが、同医師は起坐呼吸の状態で、机にもたれてぜいぜいしているという報告を受けたのであれば、出かけるつもりであったのであり、一郎の姿勢は同医師の判断によれば鑑別所に出向くべき状態ではなかった。ぜん息の重症発作の場合には様々な症状が現われるのであって、黒田医師も、一郎の姿勢のほか、会話、歩行の可否、チアノーゼの有無、顔色、呼吸状態等の発作の症状及び夕方からの経過と処置を聴いたうえで指示している。従って、川原の黒田医師に対する報告と同医師の判断には何の過誤もない。

(2) 原告らは、一郎の症状が重症発作であることを前提としたうえで、鈴木、藤原及び澤藤がネブライザーなどの措置しかとらなかったことを非難している。しかし、一郎の症状は重症発作ではなかったのであり、当夜の一郎に対するネブライザー、メジヘラの施行、デカドロン投与といった措置はいずれも妥当なものであって、だからこそこれらの措置によってその都度一応の軽快を見ているのである。また、一八日午前一時四〇分以降の発作についても重症発作の状態にはなっていないのであるから、藤原らの措置には何の誤りもない。確かに一七日夕方から一八日朝にかけては、一郎は発作を繰り返して、眠れない状態が続いている。しかし、発作が一晩中続くことはぜん息患者によくあることであって、それだけで緊急事態であるとか、死の危険が予見される状態であったとは言えない。

(3) 一八日午前六時以降、藤原が一郎を観察した経過は次のとおりであり、十分にその動静を観察している。

午前六時ころ、一郎から「先生苦しくなりました。」との訴えがあったので、メジヘラを与えた。その後、管理棟に朝食を取りに行き、配ぜん室に運び、同六時一五分ころ、一郎の様子を見て「あと少しだからがんばるように。」と声をかけた。同六時二五分ころ、配ぜん室で朝食の準備をしたあと、同六時三〇分ころ、再び一郎を見ると「先生苦しいんで薬下さい。」との訴えがあったが、メジヘラを与えた直後であるから「もう少し我慢するように。」と告げた。それから副食を二七室から配り始め、一郎のいた二四室で「君の分はここに置くよ。」と声をかけた。一六か一七室まで配って配ぜん室に房る途中一郎を見ると、仰向けに寝ていたので「甲野、甲野。」と呼んだ。

4  一郎の死亡原因について

(一) 副腎皮質不全が急死の原因となることはよく知られているが、気管支ぜん息の場合についても、副腎皮質の萎縮のあるぜん息患者は発作中に急死を来たしやすく、日常生活中においても突然死亡するということがある。一郎の場合、解剖所見で明らかなように、著明な副腎皮質の萎縮(正常人の三分の一程度の薄さ)が指摘されているが、このような高度の萎縮があれば、通常人に比べわずかな刺激でショックに陥りやすく、また、ショックに対する抵抗力も通常人より弱く死亡しやすいといえる。このような副腎皮質の萎縮を来たす原因としては、次のものなどが考えられる。

(1) 生れつき副腎の発育不全があった。

(2) ぜん息発症期間が幼児期より長期間に亘っているので、このストレスが原因で副腎萎縮を来たした。

(3) ぜん息発作の治療薬として副腎皮質ホルモンを長期(数年以上)に亘って使用を続けたことにより副腎皮質の萎縮を来たした。

(二) 更に、解剖所見によれば、心臓にも奇型があり、その上に心筋及び肝細胞の変性が認められるとあるが、変性とは組織の老化のことであって、通常一七歳の少年に認められるべきものではないのであり、一郎の場合には副腎ばかりではなく、その他の臓器も老化が進んでいたものと考えられる。

(三) これらのことから、通常の少年であれば十分に耐え得ると思われるストレス(ぜん息発作)であっても、一郎の場合には、これに耐えることができず突然死に至ったのではないかと推測される。そして、これらのことは、解剖所見によって初めて明らかにできることであり、鑑別所職員らにとって予測し難いものであった。

5  薬品の副作用について

(一) 一郎に対するメジヘラ吸入及びネブライザー療法を施すに当たっては、使用回数、使用間隔、使用量について医師の指示を厳守するとともに、職員間における申し送り及び引き継ぎを確実に励行し、副作用をも考慮して細心の注意を払っていた。その施療の経過は、前記のとおりであり、メジヘラ吸入はいずれも医師の指示どおり一吸入を四時間以上の間隔をあけ四回行っているが、これは極量一日八吸入の半量に過ぎず、また、ネブライザー療法は、一般的に施行間隔は問題とされていないし、使用量も二パーセントアロテック吸入液をアレベールで溶解して四回使用しているが、一回のアロテック使用量は、〇・三ミリリットル(その成分である硫酸オルシブレナリンは六ミリグラム)で一回の常用量〇・二ないし〇・五ミリリットル(硫酸オルシブレナリン四ないし一〇ミリグラム)の範囲内である。なお、ネブライザー療法は、コンプレッサーを使用して噴射口を口の前一〇ないし一五センチメートルに近づけて噴射し、呼吸にあわせて吸入させるものであるが、吸気時のみ吸入がなされるので、吸入薬の全量が体内に吸入されたとは考えられない。このほかに、アレベール(アロテック吸入液の溶解剖として用いられる薬剤)だけのネブライザー療法を行っているが、これによる副作用等は考えられない。

(二) また、解剖所見によっても、血液検査、胃内容検査でこれら薬物は認められておらず、薬物の副作用が死亡原因になったものとは考えられない。

6  病室収容について

病室は、医師の診察を必要とする者のうち、鑑別調査等の一切の日課を停止して医療を施さなければならない患者を収容し、安静、休養させる施設であるところ、一郎の入所後発現したぜん息発作は、いずれも軽度のもので、医師による診察、投薬等の措置により十分コントロールできており、一切の日課を停止し医療を施さなければならない程度には至っていなかった。現に、一郎は、家裁が行う少年に対する調査、審判等に資するための鑑別テスト、面接調査及び面会等を実施しており、また、日常生活においても、ぜん息発作時以外は、何ら健康人と変わらなかった。現に、一七日にも鑑別調査のための面接に元気に応じていた。また、鑑別所は、一郎を集団室から単独室に転室させ、安んじて静養することのできる環境保持に努めるとともに、要精密観察者として、職員による行動観察を綿密に行っていた。特に、一七日には、午後四時三〇分ぜん息発作が寛解した後も、観護課長から監督当直者及び南寮長から夜間勤務職員に対してそれぞれ一郎の症状及び行動観察をより綿密に行うよう説明、指示が与えられ、これを受けて担当者が注意深く顔色、身体状況の変化、挙動等を精密に観察していた。

なお、病室の構造は、暖房用スチーム管(冬期、概ね一二月上旬から三月中旬ころまで昼間に限って暖房する。)が設置されている以外は、一般居室と何ら変わらない。

四  被告の主張に対する認否

すべて争う。

第三証拠《省略》

理由

一  一郎の死亡に至る経緯について

《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

1  一郎は、原告らの長男として、昭和三九年八月一日に生まれた(この事実は当事者間に争いがない。)が、三、四歳のころから気管支ぜん息の発作を起こすようになり、主に、近所の内科医土井丈爾に投薬と注射による治療を受けていた。幼少時には、発作の程度はそれ程ひどくはなく、幼稚園も二年間ほとんど休園することなく通っており、また小学校五年生のときに少年野球チームに入ってからは、体力もつき、ぜん息発作はほとんど起こらなくなり、中学二年生のときには、サッカー部に入部し、レギュラーとして活躍していた。その後、自動二輪車の運転免許を取得した後は、友人達と共に、週末の夜に自動二輪車を運転していた。一郎がぜん息と診断された後(昭和四二年五月一五日以後)の前記土井医院への通院状況は別紙通院状況一覧表のとおりである(ただし、これらの通院の中には、必ずしもぜん息発作に起因するものとは言えないものも含まれており、また、ぜん息発作が起きても、以前に投薬を受けたもので治癒した場合もあるのであるから、必ずしも右通院回数がぜん息発作の回数を示すものではない。)。

2  一郎は、昭和五六年一一月二日、東京家裁八王子支部において、兇器準備集合、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反保護事件につき観護措置決定を受け、同日夕刻、鑑別所に収容された(右のうち、一郎が、昭和五六年一一月二日、東京家裁八王子支部において観護措置決定を受け、同日、鑑別所に収容されたことは、当事者間に争いがない。)。

3  一郎は、入所当日、鑑別所の医務課で、身長、体重、胸囲の測定をした後、男子北寮一階の単独室に収容されたが、当日は、別に異常はなかった(なお、鑑別所における施設建物の配置は別紙施設建物配置図のとおりであり、鑑別所における医療体制は、被告の主張1記載のとおりである。)。

4  昭和五六年一一月三日(火曜日)には、部屋の指定が行われ、一郎は、夕方から男子南寮二階の六号室(集団室)に収容された。

(右の事実のうち、同日、一郎が集団室に収容されたことは当事者間に争いがない。)。当日は、鑑別所で少年に書かせている「鑑別所で思うこと」という記録のうち「私のおいたち」の項を記入し、また同じく鑑別所で少年に書かせている「一日をおわって」という日誌には、食事がちゃんと食べられるようになり、おいしく感じられてきた旨記載している。

5(一)  三日の夜から翌四日(水曜日)にかけて、ぜん息の発作が起き、四日の朝食時にはかなり苦しい状態となっていた。そこで、医務課に行き、黒田医師の診療を受けたが、一郎は、その際、黒田医師に対して、四、五歳ころからぜん息の発作があったこと及び昨日から発作が起きていることを告げた。黒田医師は診察の結果、一郎の肺にぜん鳴を認め、気管支拡張剤であるテオナとアロテックそれぞれ一日三錠を四日分処方した(右の事実のうち三日と四日に一郎がぜん息発作を起こしたことは当事者間に争いがない。)。

(二)  鑑別所では、一郎がぜん息発作を起こしたことから、集団室よりも単独室の方が良いと判断し、男子南寮三階の一〇号室に一郎を移し、一郎が大分つらそうにしているため、昼間就床を許可し、静養させた(右事実のうち、同日、一郎が単独室に移されたことは当事者間に争いがない。)。一郎は、当日、「一日をおわって」と「鑑別所でおもうこと」のうち「私の家族」の項目を記入している。同日の夜は異状は認められなかった。

6  五日(木曜日)には、午後に原告らが面会に訪れ、一郎もぜん息の発作もなく気分がよい様子であり、夕方にはかなり元気になっていた。当日も「一日をおわって」と「鑑別所でおもうこと」のうち「私のともだち」の項を記入している。夜は異状は認められなかった。

7  六日(金曜日)には、一郎は元気になり、自ら希望し、医務課の許可を得たうえで、入浴した。「一日をおわって」には入浴して気持ちがよかったことと夕食のからあげが美味しかったことを記入し、「鑑別所でおもうこと」のうち「私のなやみ」の項を記入した。夜は異状は認められなかった。

8  七日(土曜日)には、日中、鑑別所入所以来初めて運動をするまでに元気が回復し、男子南寮三階の二二号室(二人部屋)に移された。「一日をおわって」には、運動した後とても気持がよかった旨の記載をしていたが、同日の夜中から翌八日の明け方ころにはぜん息の発作が起き、夜中に二回おう吐した(右事実のうち、七日にぜん息発作が起きたことは当事者間に争いがない。)。

9  八日(日曜日)には、前日夜半からの発作がひどくなり、朝に医務課の指示で一回吸引をしたが、昼間は横になった状態で食欲はなく、同日は、一食しか食べず、「一日をおわって」にはぜん息発作の苦しさとそれによる不安を記している(右の事実のうち、同日、ぜん息発作が起きたことは当事者間に争いがない。)。

10(一)  九日(月曜日)の午前〇時ころ、ぜん息発作を起こしたため、メジヘラを使用したが、午前五時ころから再びぜん息発作が起きた(右事実のうち、同日、ぜん息発作が起きたことは当事者間に争いがない。)。しかし、このときは一郎ががまんすると言ったので特に処置はせずに様子をみた。その後、医務課で黒田医師の診察を受け、その際、二日前から発作が起きていることを同医師に告げた。同医師は、ネブライザーを施行し、一一月四日と同じ処方(四日分の投薬)をした。

(二)  鑑別所は、一郎のぜん息発作が再発したため、再び単独のベット用の部屋(男子南寮三階の七室)に一郎を移したが、午後四時三〇分ころ、再びぜん息発作が起こり、一郎は再び医務課で黒田医師の診察を受け、同医師は、ネブライザーを施行し、デカドロン三錠を追加投与した。「一日をおわって」には、ぜん息発作の苦しさが記されている。

11  一〇日(火曜日)には、体の調子がよくなり、「一日をおわって」には審判期日が決定したことについての感想を記し、「鑑別所で思うこと」のうち「私という人間」という項目を記入している。夜間は異状は認められなかった。

12  一一日(水曜日)には、原告花子と一郎の従兄弟に面会し、「一日をおわって」にはそのときの様子を記している。また「鑑別所で思うこと」のうち「心に残っていること」と「私の今度の失敗」の二つの項目を記入している。夜間は異状は認められなかった。

13  一二日(木曜日)には、ぜん息の発作もなく元気であったが、観護教官は、一郎に対して、運動を休んで読書をするよう指示した。一郎は原告太郎に対し、体の調子が良くなったという近況や面会、返信を依頼する内容の手紙、友人に対し、毎日退屈でつまらないという近況や反省を内容とする手紙をそれぞれ送り、「一日をおわって」にも、親に手紙を出したことを記していた。「鑑別所で思うこと」については、「私の将来」の項目を記入している。夜間は異状は認められなかった。

14  一三日(金曜日)には、二回目の鑑別調査を受けた。また九日の投薬が切れたので、医務課で原医師の診察を受けたが、聴診上異常なしとの所見で、従前と同様の処方を受けた。「一日をおわって」には、鑑別調査のことを記し、「鑑別所で思うこと」については、「恋愛について」の項目を記入している。夜間は異状は認められなかった。

15  一四日(土曜日)には、一郎の体の調子がいいため、二人部屋として使用していた単独室(男子寮三階二四室)に移された。「一日をおわって」には、部屋の移動のことと、二人の方が食事がおいしく感じられ食欲が出たこと及び事故で怪我をした足が毎日とても冷えることを記し、「鑑別所で思うこと」には自由題の項目について、「意思の弱さ」というテーマで記入している。夜間は異状は認められなかった。一郎が足の冷え、痛みを訴えたため、同日、掛布団と毛布が一枚ずつ追加貸与された。

16  一五日(日曜日)には、「一日をおわって」に退屈であること等を記している。夜間は異状は認められなかった。

17  一六日(月曜日)には、一三日の投薬が切れたので医務室で黒田医師の診療を受けたが、その際同医師は、デカドロン服用後はぜん息発作が起きておらず、運動以外の鑑別所の日課に参加していたので、副作用の強いデカドロンを二錠に減量することとした。「一日をおわって」には、最近ぜん息発作が起きていないこと及び二人部屋になって食欲が出てきたこと等を記し、「鑑別所で思うこと」のうち「世間について」と「鑑別所の生活をふりかえって」の二つの項目を記入している。夜間は異状は認められなかった。

18  一七日(火曜日)から一八日(水曜日)にかけて

(一)  一郎は、一七日の朝食配膳時に、軽いぜん息発作を起こし、メジヘラを使用した。

(二)  同日午前九時の点呼の際に、当日の南寮三階の日勤担当の池田(同日から翌一八日朝にかけての鑑別所における南寮担当職員とその勤務体制は別紙男子南寮勤務体制記載のとおりである。)が、様子を尋ねたところ、一郎は薬があるから大丈夫と答えており、変わった様子も認められず、一応落ち着いた状態になった。

(三)  一七日午前中はぜん息発作もなく、昼食は半分くらい食べ、午後一時から二時くらいまで鑑別技官の面接を受けた。同日は、入浴予定日であったが、入浴は差し控えた。

(四)  午後三時ころ、一郎が、ぜん息発作を起こし、机にもたれるようにしてぜいぜいしていたため、池田は寮長に連絡し、寮長が付添って一郎を医務課へ連れて行き、三枝医師の診療を受けさせた。同医師は約四〇分間ネブライザーを施行した後、一郎を帰室させたが、帰室時には一郎は顔色もよくなり、落ち着いた状態で、楽になったと答えていた。

(五)  午後四時三〇分ころ、一郎が再びぜん息発作を起こしたので、夕食を配食中だった池田は、医務課に連絡し、三枝医師と川原に一郎の部屋まで出向くよう求めた。三枝医師と川原が一郎の部屋まで出向いたところ、一郎は呼吸困難を訴え、「少しつらいです。」と言っており、笛声がきこえていたが、メジヘラを施行したところ、顔色もよくなり、様子をきかれ、大丈夫だと答えていた。

(六)  午後五時の引継ぎの際に、それまでの治療経過の申し送りを受け、寮長から夜間の巡回を密にするよう指示された藤原は、夜間巡回の定位置を本来の二階の教官室から、一郎の部屋のある三階の教官室に移し、大体一五分間隔で巡回した(なお、鑑別所男子南寮における夜間の職員配置の状況及び巡回路は、別紙南寮夜間職員配置図(巡回路)のとおりである。)。

(七)  右引継ぎ当時、一郎は、あぐらをかいて壁によりかかり、息遺いが荒い状態であったが、顔色は悪くなく、声をかければ返事をするという状態であった。

(八)  午後八時前、一郎が苦しみを訴え、薬を求めたので、藤原は、その旨当日の監督当直者である鈴木に報告した。鈴木は、既に退庁していた川原に対し電話で登庁を求めた。登庁した川原は、午後四時三〇分の治療の際に、三枝医師から、以後発作が起きたらネブライザーを施行するよう指示されていたため、約二〇分間、ネブライザーを施行した。当時、一郎は息づかいが苦しそうであったが、顔色は普通で、ネブライザー施行により一応落ち着き、楽になった旨答えていた。

(九)  午後八時四五分ころ、一郎が苦しみを訴え薬を求めたが、藤原は、メジヘラの使用には四時間以上の間隔をおくように指示されていたため、もう少しがまんするよう指示したところ、一郎は、わかりましたと答えていた。

(一〇)  午後九時にも、一郎が苦しみを訴え、薬を求めたので、藤原は、前回の使用から四時間が経過したので、メジヘラを使用させ、澤藤にそれまでの経過の申し送りをして、引き継いだ。

(一一)  澤藤は、藤原と同様の方式で巡回をした。引継ぎ当時、一郎はあぐらをかいて壁によりかかり肩から毛布をかけており、肩で息をしていたが、表情は普通で、声をかけると返事をするような状態であった。

(一二)  午後一〇時三〇分から一一時の間に、一郎が苦しみを訴えたので、澤藤は鈴木に報告した。報告を受けた鈴木は原医師に電話をして、これまでの経過を告げ、指示を仰いだ。原医師は、鈴木に対し、デカドロン二錠の投与とネブライザー施行を指示するとともに、デカドロンの所在を知っている川原を登庁させて処置させるよう指示した。

(一三)  川原は、鈴木から電話で登庁を指示されたため、午後一一時ころ登庁し、一一時一〇分ころ、デカドロン二錠を投与し、ネブライザーを三〇分施行した。右デカドロン投与の際に、一郎は、自室の洗面所まで行き水をくんで自分で飲んでおり、ネブライザー施行後は、大分楽になり、少し眠くなったと言って、一度は横になった。しかし、約五分後には、再び起き上がり、従前と同様の姿勢をとっていた。

(一四)  川原は、右処置を済ませた後、内科医であり、一郎の当初からの診療にあたっていた黒田医師に電話をして、経過を伝えると共に指示を仰いだ。

(一五)  黒田医師は、川原に対して、一郎の状態を確認し、川原から、会話、歩行は一応できるし、仰向けになって寝ることもできる、チアノーゼはないとの報告を受けたため、一郎の発作が、一六日にデカドロンを一錠減量したことによって症状が再燃した反跳現象であると判断し、原医師の指示したデカドロン投与の処置でよいと考え、また一郎の症状が継続したものではないので登庁するには及ばないと判断し、川原に対し、デカドロンの投与で発作は治まるだろうが、もし治まらないようならもう一度ネブライザーを施行し、メジヘラは四時間の間隔を守るようにすること、メジヘラが使用できない間にまた苦しむようならば、アレベールだけのネブライザーを施行するよう指示した。

(一六)  川原は、澤藤に対し、黒田医師からの指示内容を伝え、もう一度アレベールだけのネブライザーを施行してから退庁した。

(一七)  一八日午前一時ころ、一郎がメジヘラを使用させて欲しいと申し出たが、前回の使用から四時間たっていなかったため、澤藤が、もう少しがまんするよう告げると、一郎は、分かりましたと答えていた。そして午前一時四〇分にメジヘラを使用した。

(一八)  午前四時ころ、一郎が苦しみを訴え、薬を求め、荒い息づかいをしていたため、藤原は、アレベールだけのネブライザーを施行した。右施行後、一郎は、楽になった旨告げている。また藤原が一郎に対し、お茶をあげようかと言ったところ、一郎は、いらない旨答えていた。

(一九)  午前六時ころ、一郎が苦しみを訴え、荒い息づかいをしていたので、藤原はメジヘラを使用させた。右使用により大分楽になったようで、藤原が、一郎に対し、家にいるときにも発作は起きるのか、バイクに乗っているとき発作は起きないのかと尋ねたところ、一郎は、家で発作が起きたときは注射をしてもらっているし、バイクに乗っているときは発作は起こらない旨答えている。

(二〇)  午前六時三〇分ころ、藤原が朝食のパンを配食している時に、一郎が苦しみを訴え、荒い息づかいをしていたが、藤原は、メジヘラを使用したばかりであるし、もうすぐ医師も登庁してくるから、もう少しがまんするようにと言い、一郎の朝食を入口のところに置いておく旨告げたところ、一郎は、はいと答えていた。

(二一)  藤原が一七室のあたりまで配食を終えて、戻る途中に一郎の部屋をのぞいてみたところ、一郎は仰向けになって横になっていた。名前を呼んでみたが応答がないため、鈴木に報告し、鈴木から連絡を受けて登庁した川原が人工呼吸を試みたが、蘇生せず、鑑別所の依頼で往診に来た近所の開業医平田医師によって、午前七時に死亡が確認された(右の事実のうち、藤原が仰向けに倒れている一郎を認め、声をかけたが応答がなかったこと、近所の開業医である平田医師に往診を求め、右平田医師が午前七時に死亡を確認したことは当事者間に争いがない。)。

(二二)  なお、一郎は、一七日、「鑑別所で思うこと」のうち「今一番いいたいこと」は記入しているが、「一日をおわって」には記入をしていない。

19  一郎の死因について

一九日、一郎の遺体が解剖されたが、その結果、死因は気管支ぜん息とされ、解剖所見は次のとおりであった(右のうち、死因が気管支ぜん息であることは当事者間に争いがない。)。

(一)  左右両肺の気腫うっ血浮腫、気管支粘膜の剥離、基底膜の肥厚、周囲の好酸球及びリンパ球浸潤

(二)  副腎皮膚の萎縮(皮質の束状層の淡明化空胞変性と一部の脂肪変性)

(三)  心房中隔の後端右心房側に一・五×〇・五センチメートル大の孔があり、左心房内とは交通していないが、その後壁内と交通している(深さ二・五センチメートル)。

(四)  心筋及び肝細胞の先血性変化(空胞変性核の淡明化)

(五)  脳浮腫

(六)  腎のうっ血

(七)  胃内容及び血液についての急性毒物並びに医薬品検査陰性

(八)  血液型AN型

二  気管支ぜん息について

《証拠省略》によれば、気管支ぜん息の概念については請求原因2(一)、その一般的誘因については同2(二)、その重症度の判断基準については被告の主張3(一)(なお、大島の分類、光井、日本アレルギー学会の各基準の詳細は、別紙大島の気管支喘息の重症度分類、同光井の気管支喘息重症度判定基準、同日本アレルギー学会気管支喘息重症度判定基準記載のとおりである。)、対処方法については次のとおりであることが認められる。

1  息苦しいがどうにか日常生活ができ、夜は寝ることができるような場合には、量と種類に気を付けて気管支拡張剤を一日二ないし四回服用すればよい。それでも夜明けに苦しくなるような場合には使用方法に注意しながらメジヘラ等を用いるとよい。

2  薬を服用すれば夜も眠ることができるし仕事も普通にできるが、薬の助けがなければそれらができないような場合には、前記の薬剤を規則正しく服用するようにする。

3  気管支拡張剤(経口投与、吸入を含む。)によってコントロールできない場合は、副腎皮質ホルモンを用いるが、使用にあたっては、長期投与により副作用が生ずることを念頭におかなければならない。使用方法としては、少量ずつ段階的に増加させていくことは好ましくなく、初めに発作を完全に抑えるだけの量をまず投与して、それから減量していくのが望ましい。

4  生命に危険の生ずるおそれがある重症発作の場合には、気管支拡張剤の投与だけでは効果があらわれず、副腎皮質ホルモンの大量投与等の薬物療法の外、人工的気道による気道の確保及び呼吸管理、酸素吸入、脱水の是正のための点滴の実施等の処置が必要となるため、入院しなければならない。

三  一郎のぜん息発作の程度について

1  鑑別所入所以前

前記の事実に照らせば、一郎は、幼少時にはかなり頻回に発作を起こしていたものの、成長に伴い、発作の程度は低くなり、鑑別所入所直前には、若干、通院しているが、全体としてみれば、ぜん息発作はかなり落ち着いた状態であったものと推認することができる。

2  鑑別所入所後一六日まで前記の事実に照らせば、三日の夜から翌四日にかけて、また、七日の夜から九日にかけて、ぜん息発作が断続的に起こっていることが認められるが、右発作は、いずれも投薬、安静等により軽快しており、大体において鑑別所の日課をこなしていたものと認められ、発作の程度は軽いものと推認することができる。

3  一七日から一郎死亡まで

(一)  一七日午後三時以降のぜん息発作は、それまでのものと異なり、投薬によって落ち着いた状態を維持することができないものであって、以前の発作に比べればより重い症状であったと言うことができる。

(二)  そこで、同日午後三時以降の発作について、その重症度を前記各判定基準に照らして検討すると次のとおりである。

(1) 大島の分類(別紙大島の気管支ぜん息の重症分類)によると、一郎の発作の強度はB(呼吸困難がやや強く日常生活に支障あり)、発作の頻度は2(平均一か月に数回ないし十数回)であると認められるので、重症度は中等症ということになる。

(2) 光井の基準(別紙光井の気管支ぜん息重症度判定基準)によれば、ぜん息発作の強度は、別紙記載aの各項目のうち、C(聴診所見)は不明であるので一応留保したうえで、他を検討すると、Aについては、横臥可能かどうか争いのあるところであるので、念のため二点、Bが一点である外は、D、E、Fの症状は見受けられないのであって、Cについて仮に三点であったとしても、中発作に該当することになる。そしてぜん息患者の重症度は、中等症発作に該当する。

(3) 日本アレルギー学会基準(別紙日本アレルギー学会気管支ぜん息重症度判定基準)によれば、発作強度は中発作(B)、発作頻度は2(一週間に四日未満)であるので、重症度は中等症ということになる。

4  以上の事実及び《証拠省略》によれば、一七日午後三時以降の一郎の気管支ぜん息の症状は、死亡が予測されるようなものではなかったものと認められる。

四  一郎の死亡原因について

1  一郎の死因について、解剖結果においては、単に気管支ぜん息とされているだけであることは前記のとおりであるが、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一)  ぜん息患者が突然死亡する場合の原因として、次のものが挙げられる。

(1) 痰、おう吐物による窒息死

(2)急性心不全

(3) 副腎皮質の萎縮による急性副腎不全(ショック死)

(二)  解剖結果によれば、右(1)の所見はなく、前記のとおり副腎皮質が著明に萎縮していることが認められている。また、右(2)については、未だに原因は解明されておらず、それを予測することは現時点では不可能である。

2  右事実及び前記事実によれば、一郎の死亡の原因としては、副腎皮質の萎縮による副腎不全である可能性が高いものと推認することができる。

3  右の副腎皮質の萎縮の生じた原因はこれを確定することができないけれども、少なくとも鑑別所入所後の一郎に対する投薬その他の処置に起因するものと認めるに足りる証拠はなく、また、《証拠省略》によれば、副腎皮質の萎縮及びそれに基づく副腎不全によるショック死を事前に予測することは現時点では、不可能であると認められる。

五  入院の必要性の有無について

1  前記のとおり、一郎の症状は、死亡が予測されるようなものではなく、前記事実に照らせば、ネブライザー、メジヘラによる薬剤投与によって、一定の効果(発作の一時的鎮静化)が見受けられ、全く無効だったわけではないことが認められる。

2  右によれば、一郎の症状は、死亡の直前まで、入院を必要不可欠とするようなものではなかったものと言うべきであって、右必要性を前提として、鑑別所長ないし同所職員に過失があるとする原告らの主張は理由がない。

六  黒田医師の登庁を求めなかった点について

1  川原が一七日午後一一時すぎに、黒田医師に電話で指示を仰いだにもかかわらず、黒田医師が登庁しなかったことは前記のとおりである。

2  《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一)  川原は、右連絡の際、一郎の症状とそれに対してなされた処置について報告しただけで、黒田医師に登庁要請をしていなかったが、それは、黒田医師が従前から、症状を確認したうえで、自分自身で登庁の要否を判断するという方法をとってきたためであり、右連絡後登庁しなかったのは、黒田医師が川原からの報告を聞いて、登庁の必要がないと判断したためである。

(二)  黒田医師は、ぜん息患者が呼吸が苦しいため横になれずに起き上がり、前かがみになってゼイゼイ呼吸している状態(起坐呼吸)の場合には登庁が必要であるが、投与された薬剤で、右のような状態でなくなっている場合には、起坐呼吸の状態が排除されており、登庁の必要はないと考えていた。

3  右事実及び前記事実によれば、川原が黒田医師に電話をした時点では、その前に投与されたデカドロン二錠とネブライザーによって、一郎は横になれる状態になっていたのであるから、黒田医師の右基準によれば、登庁を要しないと判断される状態であったと言うことができるし、それまでの一郎の状態、さらにその後の一郎の状態が、前かがみの姿勢でしか呼吸できないような状態であったとまでは認められない。

4  原告らは、川原が黒田医師に対して誤った情報を与えて同医師が登庁して診察する機会を逸したと主張するが、川原の報告時における一郎の状態及び川原の報告内容は前記のとおりであって、右原告らの主張事実を認めるに足りる証拠はない。

5  以上のように、黒田医師の登庁を求めなかった点について、鑑別所長及び同所職員には過失は認められず、この点についての原告らの主張は理由がない。

七  メジヘラ、ネブライザーの使用量と一郎の死亡との関係について

1  《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  ネブライザーは、薬剤を霧状にして、ある程度時間をかけて呼吸にあわせて摂取させる器具であり、メジヘラは、薬剤を同じく霧状にして、それを一呼吸で吸入することにより、直接粘膜に薬剤を投与する器具であるが、メジヘラの方がネブライザーよりも吸収濃度が高くなるものである。

(二)  一郎の場合、薬剤としては、原則としてアレベールと気管支拡張剤であるアロテックを使用していたが、一七日夜、川原が黒田医師に電話で指示を仰いだ後は、ネブライザーの場合は、薬剤をアレベールだけにして施行している。

(三)  気管支拡張剤については、使用量が多すぎると副作用が生ずることが指摘されており、かつて、ぜん息患者の死亡がメジヘラの使い過ぎによるものではないかという点が問題とされたこともあるが、この点については、必ずしもメジヘラが原因とは言えないとする考え方もある。

(四)  いずれにしても、メジヘラ多用による気管支拡張剤の濫用が副作用を起こすことは一般的に認められており、使用にあたっては、量及び吸引回数を制限すべきであるとされている。

(五)  これに対して、ネブライザーの場合は、前記のように、メジヘラに比較して、気管支拡張剤の摂取濃度が低いため、メジヘラの場合程は、使用についての制限はない。

(六)  メジヘラは、二四時間で四回までの使用に抑えるべきであるとする見解も存在するが、黒田医師からは、四時間の間隔をおいて実施するよう指示されていた。なお一郎に対するメジヘラ及びネブライザーの施行状況は別紙メジヘラ・ネブライザー施行状況記載のとおりである。

(七)  一郎の解剖結果においては、気管支拡張剤の影響をうかがわせる所見はなかった。

2  右事実によれば、確かに、一郎に対して相当回数のメジヘラ、ネブライザーが施行されているけれども、特に問題とされているメジヘラについては、医師の指示した間隔をおいて施行されており、二四時間に四回という見解のもとでも、使用方法が多すぎるというものではなく、気管支拡張剤が影響したと思われる解剖所見が認められない以上、右の点から、一郎の死亡がメジヘラ・ネブライザーの濫用によるものと推認することはできず、他に右を認めるに足りる証拠はない。

従って、この点に関する原告らの主張もまた理由がない。

八  以上の次第で、原告らの本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく、いずれも失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大城光代 裁判官 野崎弥純 團藤丈士)

<以下省略>

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